
活動報告 行事
2025.04.21
令和7年度西行塚供養祭典 (4/13)

4月13日(日)あいにくの雨の中、槇ヶ根の西行塚で、秋山市議、服籐文化課長、中野自治連合会長、中野財産区議長や地元自治会の皆さんが参加し、供養祭典が行われました。



伝西行塚の話
『長国寺縁起』によれば…鎌倉から京に上らんとした西行は、信濃から美濃に入り中野坂に差し掛かると、南無山の南に「弥陀・観音・勢至」の三尊が光を放っていたので、そこに行くと小堂があり行基作の三尊が祀られていました。そこで西行はここに庵を結び過ごしました。ある時死期を悟った西行は、村人を招き寄せ自分が死んだら中野坂に埋めるよう頼んだ。はたして夜半西行は亡くなり、村人は遺言通りここに葬り五輪塔を建てた。定説では、晩年になって河内国弘川寺に身を寄せ、文治6年(1190)2月16日没したとされますが、全国には様々な伝説が伝えられ、その終焉の地についても10ヶ所を下回らない場所が知られています。