
地域情報
2022.05.25
久須見城址
恵那インターから県道恵那白川線で笠置方面に向かう途中、久須見本郷付近で右手に小高い丘があります。この丘が途切れたところを恵那白川線が通っていますが、この丘が途切れたところの頂上部分には「久須見城」という戦国時代の山城があります。丘に登ってみると頂上部分は平らになっており、墓地や神社(御嶽神社)があります。平らな部分は、人為的に削られたところで「曲輪(くるわ)」といいます。神社から東に墓地のあるところに向かう途中に左右に丘の下まで伸び、神社と墓地との間を遮るような溝があります。これは「堀切(ほりきり)」といい、丘の下まで伸びる溝は「竪堀(たてぼり)」といいます。いずれも戦国時代の山城の防御施設です。「曲輪」には建物があり、中心となる「曲輪」を「主郭(しゅかく)」といい、「久須見城」では、現在の御嶽神社の境内が「主郭」になっています。 「久須見城」が戦国時代のものであることは確かなのですが、誰が何のためにつくったのか、あるいはどのような戦いに使われたかはわかっていません。ただ、「久須見城」に登ってみると木曽川を越えた対岸の姫栗には、「猪狩山城(いかりやまじょう)」、西側には「中尾砦(なかおとりで)」、西南には「城址山砦(じょうしやまとりで)」を望むことができるので、「久須見城」は木曽川や笠置方面への街道を押さえる重要な位置にあったと思われます。なお、この城の北側には「滝坂の渡し」があって、「久須見城」付近は近世から近代の笠周地域と長島等恵那地域を結ぶ交通の要衝でもありました。















